2011.09.28 第13回講座
「多摩の絹の道と養蚕」 松尾俊彦氏
多摩地区に残る「絹の道」は、江戸末期から明治時代にかけ、八王子から横浜港に向け
て絹を運んだ道筋です。
この道を利用した絹の搬送は、30年間に及び、明治22年の甲武鉄道の開通で役目を終え
ました。町田市の発展の歴史もこの絹の道の中継地としてにぎわったことに始まります。
多摩の絹の道は、生糸の輸送だけでなく、居留外国人の往来した道、キリスト教が伝播
した道としても知られています。明治の自由民権運動の広がりの道でもあったわけです。
この時期、八王子の宿場は、絹糸や絹織物の集散地として賑わいました。多摩の各地、
山梨などからも繭や絹糸が集められ、取引がおこなわれました。取引された絹は、馬の背
にのせられ横浜に運ばれました。
絹の道の始点となった八王子は絹の集散地や加工地としてにぎわいました。そんななか
から“鑓水商人”と呼ばれる豪商も生まれました。八王子市鑓水にある屋敷跡 寺社のた
たずまいなどに盛時がたどれます。
かっての絹の道は分断され、一部は新道として生まれ変わりました。しかし昔の姿がた
どれるのは八王子市の鑓水地域だけです。鑓水商人の屋敷跡は八王子市の資料館になって
います。
多摩地域もまた養蚕の盛んな土地でした。1591年の八王子の検地史料によると、畑全体
の20%が桑畑。絹の道が鉄道ルートにとってかわられた後も養蚕は盛んで、大正から昭
和の初めまでがもっとも盛業だったといわれています。
写真 = いずれも松尾俊彦さん提供
ひっそり残る絹の道(八王子鑓水) | 絹の道の記念碑(町田市原町田) |
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