** * まちだ雑学大学 * ****

  講座概要


    

  2012.04.18 第20回講座

     「まちだ自由民権の里を歩く」   松崎 稔 氏

  まちだ雑学大学の4月講座は、明治時代に何人もの民権運動家を生んだ町田・野津田の里
 を歩く歴史散歩でした。4月18日、「雑学大学」の30人が市立自由民権資料館の松崎稔学芸
 担当らの案内で、野津田を学びました。
  歴史散歩は、資料館での展示解説から始まりました。
 杯や出前の岡持にまで書き込まれた「自由」の2文字に当時の
 風潮がうかがえます。数多い展示品のなかで目をひくのが民権
 運動のリーダ石阪昌孝の書や写真の数々。村一番の大地主で
 名主をつとめた石阪は、全財産を政治につぎこんだ「井戸塀
 政治家」だったのです。

 資料館を出て、鶴見川を渡ると野津田神社でした。
旧野津田村の鎮守さま。昌孝も子どもの頃から馴染んだ神社。
拝殿脇の2基の石灯籠は、文久2年、若くして村長になった昌孝
が、村人の安泰を願って寄進したものでした。

 神社の裏手に広がる雑木林は、「民権の森」とよばれる市の
 管理地。森の小道を歩いた先に昌孝の墓がありました。
 「群馬県知事」を最後に政治から身をひいた昌孝は、住む家も
ない孤独な老人でした。大きな墓石も後年、地元関係者の手で建
てられたものです。

 民権の森には、町田市立の「ぼたん園」があります。この春も
1500株のボタンが大輪 の花をつけました。この華やぎの舞
台は、石阪家の屋敷跡なのです。石坂家の長女、美那子と近代詩
人北村透谷との出会いもこの屋敷だったのです。
 晩年、この屋敷は借金のカタで、競売にかけられ、取り壊されました。
  昭和60年、敷地跡に記念の碑がたてられました。「自由民権
 の碑」「透谷 美那 出会い の地」と刻まれた碑文は、自由
 民権運動のの研究家、色川大吉氏が筆をとったものでした。

  街道の向こうに真言宗「華厳院」。室町時代の再興と伝わる
 寺です。明治の学制に先駆け教場が置かれました。昌孝ら民権
 家たちとの関わりが深く、66歳で東京・牛込の寓居で亡くな
 った昌孝の葬儀もこの寺ででした。石坂を慕い民権運動に命を
 かけ、後に貴族院議員にも なった村野常右衛門もここに眠っていました。町田の自由民権
 運動は、今から130年ほど前の出来事だったのです。
    

topへ Page Top

© 2011-12 Machida Zatsugaku. All Rights reserved.
 
inserted by FC2 system