2012.04.27 第21回講座
「人生なに色?総天然色―映画と関わった半世紀」 西川 紀之氏
映画照明技師だった西川鶴三の長男として京都・太秦で
出生。幼い頃から映画の世界につかり、はじめて見た映画
は「駅馬車」でした。高校時代には年間256本を記録、大学
の卒論のテーマは「将来の映画」。映画にとりつかれた青
春だった。
臨時雇いで東宝に入社、演技事務職として映画回にかか
わる。当時は映画の最盛期、関わった映画は数しれない。
はじめての映画が石原慎太郎主演の「危険な英雄」。
まばたきが激しくNG続きで撮り直し、スタッフはフイルム
の消耗に泣いた。
大スターは三船敏郎。「無法松の一生」や「戦国群盗伝」の撮影に、立ち会うことに
なったが、近寄りがたく、三船の姿はひとまわり大きく見えた。
3年後、正社員になって芸能部に所属した。2本立て3本立ての上映が当たり前になっ
て短時間で製作が続いた。その一方では大物監督による大作の製作も進んでいた。
天皇と呼ばれた黒沢監督には カリスマ性があった。スタッフも端役も黒沢一家、撮影
では一切妥協を許さない。「天国と地獄」の撮影では、2度にわたって新幹線「こだま」
が借りだされた。でも黒沢さんからあの厳しさがうすらいだとき 黒沢映画の魅力も薄
れてきた。
わたしにとって映画は人生そのものでした。いまもシネコン巡りで時間を費やし、町
田中央図書館のフイルムライブラリーで、昔の名作を楽しんでいる。
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