2012.05.24 第22回講座
「絵本は私の夢だった」 青山 邦彦氏
小学生の頃 わたしが目指したのは漫画家でした。刺激をうけたのは手塚治虫さん。
「鉄腕アトム」と「ジャングル大帝」などに魅せられました。「鉄腕アトム」は空間・
未来社会への憧れをかきたててくれたのです。VIDEOがまだ普及してない時代、たまに
TVで放映される手塚作品のキャラクターをせっせと書き写すマンガ少年でした。
そんなある日、雑誌付録の漫画家特集で、手塚治虫さんが、学生時代には成績優秀で
医者になっていたことを知りました。あんなマンガを書くには勉強が出来なければ、と
子供こころに思うようになりました。勉強に目覚めたのです。そして中高一貫の進学校
に進みます。
進路選びの段階で手塚が進んだ医学部への志望はあきらめ、好きな絵の道をさぐるこ
とになります。数学が好きで、絵を描きたい。そんな私に 父親は「建築」をすすめて
くれました。さいわいに進学を果たした大学では図面書きに追われます。マンガへの情
熱は徐々に薄れていくのですが、図面が絵画的になっていくのです。
大学院の卒業後に選んだのが建築設計事務所でした。そこの所長が自分でもでも絵筆
を握る絵画好き。堅苦しい建築設計図を書く一方で絵にした設計図を書くことになりま
した。ある年 九重高原に建設中のホテルの現場に常駐することになりました。日ごと
に変わる建設現場を記録するのに絵で描いてみることにしました。ひそかに書いていた
のですがやがて公認、終わってみると400枚も書いていました。現場の人たちに所望
されるので 自費出版を思い立ちました。東京の出版社で作ってくれた本は800頁の
絵本になりました。
29歳の年に退職、絵本作家への道を歩みます。 以下略
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