** * まちだ雑学大学 * ****

  講座概要


    
  第34回講座    2013.05.21  町田市生涯学習センター

      タクト一本 世界名ホールの旅   荒谷俊治 氏


1. わたしと音楽の出会い
  自分の経験をお話しするのは、おこがましく、
 恥ずかしいことなのですが・・・。私は、昭和5年
 4月8日、広島県東広島市の獣医の家に生まれま
 した。幼年時代は、特に音楽教育を受けた記憶
 がありません。初めて音符を見たのは、信時潔、
 山田耕作、金子登による《海道東征》の九州公
 演でボーイソプラノを歌った時でした。中学校
 では合唱団に在籍することになります。
  旧制福岡高校でも合唱団には入ったのですが、専ら強豪バレーボール部のセッターと
 して全国遠征を繰り返していました。優勝を果たして、合唱団に戻ると、指揮者の石丸
 寛先生から「バレーボールか、音楽か どちらを取るのか」と叱責されたものです。結
 局は石丸先生の後継者として合唱団を指揮することになり、九州大進学後も、オーケス
 トラを指揮することになりました。
  九大オケは九州各地への演奏旅行が恒例でした。最も印象に残ったのが、都城の小学
 校の演奏会で出会った三重苦の子どもたちです。耳も聞こえないのですが、オーケスト
 ラの演奏に、声を上げて、全身で反応したのです。先生たちも驚くほどでした。改めて、
 オーケストラが持つ力の大きさと素晴らしさを知らされました。振り返ると この時の
 体験が、私の音楽家人生への出発点になったように思われます。
  学生時代の思い出の一つが 1955年にポーランド訪問のさい、現地で耳にした民謡で
 す。後に、《森へ行きましょう》と名付けられた曲。列車の中でなにげなく採譜して 
 先に帰る学生仲間に渡しました。しばらくして帰国すると、なんと曲に詞がつけられ 
 若者たちに歌われていたのです。歌詞には律儀に「荒谷俊治 採譜」と書かれていて驚
 きました。
  その後、本格的に音楽を勉強するために上京、高田三郎先生の下で、和声、対位法、
 オーケストレーションなどを学び、東京フィルなどのオーケストラを指揮する機会も得
 ました。
  町田フィルハーモニー交響楽団を指導するようになって、今年で38年になります。楽
 団結成当時は、「ひなた村」や中学校の音楽室を借りて練習することも多く、東敦子先
 生とつくし野駅前の満開のハナミズキの下で共演したことも懐かしい思い出です。

2. 名ホールで指揮する
  指揮者にとって、ホールは楽器以上に重要といっても過言ではありません。世界各地
 の名ホールでは、音が天井から降ってくるような、何ともいえない感覚を覚え、演奏家
 としての醍醐味を味わったものです。ウィーンの楽友協会では、暖かい音が、チェコの
 スメタナ・ホールでは、幾分クールな音が、降ってくるようでした。町田フィルが公演
 したベルリン・フィルハーモニー・ホール。海に面した指揮者の控室が、まるで自分が
 船の船長になったかのような気分にさせてくれたシドニーのオペラハウス。ソプラノ歌
 手を頭上のキリスト像の隣で歌わせて、フォーレの《レクイエム》を公演したパリのマ
 ドレーヌ寺院。舞台の後方の長い階段をおりて、大喝采のなかで入場したコンセルト・
 ヘボウ・・・。世界各地の名ホールで、様々な素晴らしい経験をしてまいりました。
 
 

    

© 2011-2012 Machida Zatsugaku. All Rights reserved.
 
inserted by FC2 system