** * まちだ雑学大学 * ****

  講座概要


    
  第59回講座    2015.06.23  町田市民フォーラム

             語源を識つて 俳句を愉しむ
 梶原美邦 氏


六月二十三日、町田市民文学館と町田の雑学大学共催で実施された本
講座は、お断りする方が出たほどの応募状況で、当日もほぼ満席の盛
況だった。
まず主催側のご尽力に感謝申し上げたい。

講座の内容は、パワーポイントを使って、四季折々の季語とその語源
を探りながら、その季語で詠まれた青芝会員の句や周知の名句等を紹
介する形式を取った。
 例に挙げた季語は、当季のものでは、「時鳥」・「菖蒲」・「渓?」・「花菖蒲」・「蛍」・
「虹」・「浴衣」 など多岐にわたっていた。
用意された資料が非常にたくさんあったので、四季全部の季語の語源には触れることができ
なかったのが残念であったが、丁寧に個々の語源を
説明された。

 休憩を挟んで、俳句の根源にかかわる話に移っ
た。まず、人間の祖先がナメクジ魚だと言う話
に始まり、人とは何かを語源から考えると、人
とは霊のとどまる処であると言われている。
霊とは息・風・精神・言葉等の事であり、処と
は肉体である。先日新聞で「脳の中に『からだ』
がある」と言う話にいたく感動されたそうだ。

「からだ」とは、「身体の形や動きのイメージ
のこと。これが生身の身体をコントロールして
いるのである。身体の身は精神(霊)、体は肉体(処)のこと。つまり、もうひとりの人のこと
である。生身の身体に人のイメージのプレーをさせたり、印象を詩として表現させたりするの
が「からだ」である。村野四郎(一九〇一~一九七五)はスポーツを素材にした「体操詩集」
で、叙情性を除き、事物の形態美をイメージとして表現している。

この例からしても、俳句は、自分の自然のイメージを詩として紡ぎ出す文芸であると云えよう。
人間には二人のひとが住んでいる.一人は自然(ありのままの者)であり、もう一人は自分
(自然から分れた者)である。

この二人は何時も風のような言葉(息・精神)でやり取りをしている。
俳句はその自然を人間に翻訳する詩であり、「対象の真実を印象として表現する詩」であると
いうのが、氏の俳句観である。


 講演は、折々に季節の色の話や方位の話、文学理念の話や、子規の俳句革新の話もされた。
また井上哲次郎の新体詩の話や、ダーウィンの進化論の話なども織り込んで、大変勉強になる
ものだった。
最後に青芝俳句会へのお誘いもあったが、是非これを機会に一人でも多くの方が俳句の扉を開
いて下さることを切に願うものである。
                                 (文責・青芝俳句会編集部)

    
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