はじめに 植物としての特性。
ハス科ハス属。地球上に現れたのは、化石で証明されている約1億年前
(白亜紀後期)。日本では約7千万年前の化石が福井県今立郡から出土して
いる。この頃の地球はとても暑く、花を咲かせる植物が出現し、虫媒により
子孫を残せる確率が高くなり、また、恐竜全盛時代だった。
原産国については特定できる遺物がないため、不明。東洋産種の紅蓮、白蓮
と、アメリカ産種の黄蓮がある。東洋産種もアメリカ産種も、元は紅蓮だが、
大陸が分かれた時に、突然変異で白色と黄色が現れた。
「ハスは平和の象徴なり」大賀一郎博士の提唱
大賀一郎 1883年-1965年(明治16-昭和40)
岡山県生まれ。植物学者。東大・同大学院卒。
1917年(大正6年)満州・大連へ赴き、満州鉄道中
央研究所・満鉄調査部植物班主任として古ハスの実の研
究に従事する。1927年(昭和2年)「南滿州普蘭店(フラ
ンテン)附近の泥炭地に埋没し今尚生存せる古蓮實に
関する研究」で東大理学博士に。1931年(昭和6年)の
満州事変にいたる一連の軍部行動への抗議として退社、
事変の翌年に東京へ戻り、東京女子大学、東京農林専
門学校、関東学院大学で講義を行う。中国普蘭店古蓮の
実採集以来、大英博物館、上野不忍池、千葉県滑河付近
出土須惠器の蓮の実採集を経て36年後に検見川の蓮の実を採集、発芽育成開花に成功。生涯を蓮の
研究に捧げた。東京大空襲で焼け出され、その後は府中に在住。
1963年(昭和38)以下の紅(日本)黄(米国)白(中国)の蓮を広島に贈り、「ハスは平和
の象徴なり」を提唱する。
「大賀蓮」(おおがはす―紅色。日本)
1951年(昭和26年)、作業人員延べ2500人、作業日数40日間、費用4~50万円(現在の金
額で500万円位?)が関わり、千葉県検見川の地下6メートルの青泥層から2000年以上前の古蓮の
実3個を地元の女生徒が発見。翌年、開花させ、世界に知られる。
「王子蓮」(おうじはす―アメリカ黄花系ハス)。
1960年秋、ご結婚間もない皇太子ご夫妻(現、天皇皇后)夫妻が日米修好百周年を記念し
て米国より招待され訪米。その折り、デンバー在住の日系人小川一郎氏からアメリカ産種の蓮の
実が贈呈され、翌年大賀博士が発芽育成し、1962年に阪本祐二氏(大賀博士門下生)が開花させ
る。皇太子殿下にちなみ「王子蓮」と大賀博士が命名。
「蘆山白蓮」(ろざんはくれん―淡緑系白の大型)。
中国蘆山への留学した僧・澄圓が1329年帰国、白蓮の実を持ち帰った。山口県青梅島西円寺に伝え
られ「西円寺青蓮」とも呼ばれている。
太平洋戦争開戦前
「孫文蓮」(そんぶんれん)孫文(1866年- 1925年)。
中国の政治家・革命家。初代中華民国臨時大総統。辛亥革命を起こし、「中国革命の父」、中華
民国では国父と呼ばれる。当時、中国は阿片戦争から25年を経ていたが、列強の搾取のため荒廃
の極みにあった。中国の苦痛を救えるのは日本以外にないと考え援助を乞い続けた。船舶会社を
持っていた田中隆は孫文に応え、300万円と船一隻を贈った。清朝を倒したものの、北京の袁世
凱との闘いに敗れた孫文は1918年(大正7年)田中氏に「至誠感神」の書と、「日本と中国はこの
一つの蓮の根の上に咲く花のようでなければなりません」と祝儀袋に入れた故郷の蓮の実4粒を贈
った。1930年(昭和30)田中氏の令息隆敏氏は大賀博士に発芽育成を依頼、開花。「孫文蓮」と
命名された。
「国破れて山河あり」。不忍池から蓮が消える
1945年3月10日未明、米軍機により東京下町は壊滅状態に。食糧がなく、不忍池の蓮根も食
料にされ、敗戦を迎える。1946年(昭和21)から「戦災者救済会」が上野田圃として水田にし
、苗は柏、取手、座間などから集められ、田植えが行われた。初年度収穫は200俵、22、23年度
も続いたが、23年11月には救済会も解散され、24年から復旧工事に入るが、蓮池になるのはしば
らく後のこと。「上野田圃」はアメリカの新聞にも載り、話題になった。講和条約が結ばれる前
の占領時代のことである。
日中国交正常化以前に
「中日友好誼蓮」(そんぶんれん)(ちゅうにちゆうこうぎれん)1963年(昭和38)
100粒の大賀蓮の実が、大賀一郎、阪本祐二氏から中国科学院・院長(政治家、文学者、歴史家)
に贈られた。阪本氏の著書『蓮』によれば「日中戦争の贖罪の意味を込めていた」。蓮の実は北
京・上海・西安・などの組織に分配され、武漢植物研究所では「中国古代蓮」を♂として交配し
、1965年に開花させた。日中国交正常化は、9年後の1972年。
釈迦誕生の地から贈られた蓮の実
「ネール蓮」1961年(昭和36)、インドのネール首相は、日本の仏教各宗派の代表30人
をインドに招待、当時薬師寺の橋本凝胤管長はインド難民救済事業に尽力し、団長格として訪印。
親善の印として翌年ネール首相から両手いっぱいの蓮の実を渡された。実はネール首相の計らいで、
釈迦誕生の地ヒマラヤ山麓ルンビニ(現ネパール)より採取されたもので、ネール蓮と命名。大賀
博士に発芽育成を依頼、1964年(昭和39)に開花。
日米を結ぶ皇室ゆかりの蓮
「王子蓮」来歴は前述。米国ミシシッピ―河流域に自生している黄色系の蓮。
「明美蓮」1996年、前述の小川一郎氏がコロラド州デンバーで自然交配したものが蓮文化
研究家・三浦功大氏に届けられたもの。命名は小川氏。大胆にも天皇皇后両陛下のお名前の一字
(明仁・美智子)をとってつけられた。
「舞妃蓮」美智子妃殿下にちなんで命名された優雅な蓮。王子蓮と大賀蓮の交配種。蓮弁
が舞姿のように美しい様子をみせる。1968(昭和43)両陛下に献上されている。
ベトナムの革命家 ホー・チ・ミンと蓮
2015年はベトナム戦争(ベトナムの人々は救国抗米戦争・米国戦争と呼ぶ)終結40周年。
革命家ホー・チ・ミンの生家は蓮の村として知られ、南北統一の象徴として、ベトナムの人々に
親しまれている。今も社会主義共和国政府のプロパガンダポスターには様々な蓮がデザインされ
ている。
福祉とハス
7年間の試行錯誤を経て1980年(昭和55)、知的障がい者のはたらく場として「町田市社会
福祉法人・大賀藕絲館」が設立された。13000㎡に植えられた蓮を作業材料にし、製品を作り販売
している。障がい者に温かい目がそそがれるためには、平和が続くことを痛感する。
参考文献大賀一郎『ハスを語る』(忍書院1954)、渡辺達三『魅惑の花蓮』(日本公
園緑地協会1990)三浦功大編著『蓮の文華史』(かど創房1994)三浦功大『蓮への招待』(西田
書店2004)、三浦功大・池上正治『世界の花蓮図鑑』(勉誠出版2012)、『蓮の話』4号。古畑
光男『孫文蓮について』(個人出版1994)、小林安茂『上野公園』(岳陽出版会1980)他。協力
・上村皓彦 三浦敏子。
|