** * まちだ雑学大学 * ****

  講座概要


    
  第82回講座    2017.5.18  町田市文学館ことばらんど

             「あのころの写真で、町田の街」-まちだワンダフルストリート
 新倉 孝雄 氏


私はこれまで主に、この異国風景は日本のどこなの?
という地域、例えばパスポートに出国スタンプが押
され一歩先のゲートをくぐれば国外となる成田空港。
フェンスの向こうは、確かによその国が存在する厚
木基地など撮り歩いてきました。標識も見当たらず
境界がハッキリと把握できない周辺は危ういバラン
スを秘めた活力が潜んでいるのか、この目でみたい!
現在地を確認したい衝動が走ります。

 
行政区画として町田は東京都であるが、駅前に横浜銀
行の大きな支店があり、多摩ナンバーの神奈川中央交
通のバスが走り、早朝の商店街で出くわすゴミ集取車
のボディには横浜が刻まれていたりする。また湘南の
海風がこのあたりまで届きそうな気もする。活力みな
ぎる商店街の雑踏からは実直な生活者の熱気溢れた躍
動感に誘われて、1970年代と2000年代の始め集中的に
足を運びました。

1976/9/23(木)
秋分の日で快晴。この日は市民祭りが催されメインストリートは歩行者天国として開放さ
れ多くの人びとが街へくりだしていた。写真に写っている紙袋をよく見ると小田急デパー
ト町田店の開店日でもあったのだ。路上では紙芝居やギターを掻きならしてフォークソン
グ。たこ焼きにアイスクリームの露店などが並ぶ。海外旅行が自由化になって日が浅かっ
たこともあり、憧れのハワイがブームでアロハシャツを着た若者を多く見かけ、ユーミン
の「あの日に帰りたい」が流行っていた。商店街に履物店が多く見られたのは道路の舗装
がまだ充分に整っていなかった証だろうか。
 

2007/12/23(日)
朝まで降っていた雨が上がり昼過ぎから晴れてきたので町田へ。
南へ向かう横浜線に乗ると成瀬の手前あたり、左手の車窓からこの街の奥行きのある広が
りゆく風景が飛び込んでくる。冬の空に向かって突き刺す高圧線の鉄塔。ゆるやかに続く
丘陵の雑木林が剥ぎ取られて出現した住宅群に墓標がすり寄って入り組んでいる。よく見
れば墓石と塔婆の群れがくぼ地に降りて侵食している。この光景を目の当たりにすると成
熟した都市、町田市民の日々の暮らしのこまやかな積み重ねの一端を直接見た。西日を薄
暮が包みこむと寒気が漆黒の闇夜へと急かせる。この一場面は「生と死」が背中合わせで
ながら、脈打つ鼓動がかすかに聞こえてくる。
 




    
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