** * まちだ雑学大学 * ****

  講座概要


    
  第106回講座    2019.4.13  町田市民文学館2階大会議室

フランス語通訳の半生


吉田 章 氏
フランス語通訳

吉田 章 氏 のホームページ  


通訳の世界と、私の生い立ちについて少しお話
させていただきたい。

私が通訳になった過程は、偶然が重なったこと
も多い。 父の仕事の関係で、 5歳から9歳まで
パリの郊外で育った。その時、幼稚園も小学校
もフランス人の学校に行った。
一方、帰国後3か月でフランス語がはなせなった
ことが悲しかったことを覚えている。

イギリスのカズオ・イシグロ氏が5歳で英国に渡
り、そのままイギリスの国籍を取得したのを見
ると、その決断と選択はすごいと思う。

その後、コンピュータの専門学校で好きなことだけを学べばいい勉強の楽しさを覚えたが、どうも
その世界にはなじめず、卒業後半年ぐらいぶらぶらした後、フランス語専門学校アテネフランセで
フランス語の勉強を始めたら、発音と聞き取りは残っていて、 ものすごく楽しく勉強した。

2年勉学の後、フランスに部屋を借りっぱなしにしたという人と出会い、それをあてにして、私費留
学をした。こういった、「チャンスをつかむ」ということも大事だと思う。「部屋を借りている」
と友人はいっても破価格で、どうもあまりあてにはならなかったが、親を説得するのには十分だった。
 
フランス語の勉強が終了したとき、帰国も考えた
が、偶然日本人経営の旅行代理店で仕事を見つけ、
さらに2年滞在を伸ばした。 サラリーマンではあ
るがホテルと空港・駅のとの間の送り迎え、通訳
と自由業に近い仕事。 同じ会社で努めている女
子社員と知り合い、 その後2人でパリから中近東
経由で帰国した。今はそれらの多くの国で紛争、
内乱、戦争があり、とてもいけない。いいときに
旅行ができたと思う。

アルジェリアで通訳。2つの仕事、その間に約1年、
ロンドンで英語を勉強。

帰国後、パリで知り合った彼女と結婚し、通訳派
遣会社に勤め、どうも通訳で独り立ちできそうな感じがつかめたのも大きかった。

さて、「吉田 茂の孫」として生まれたことに関連した話をしましょう。私は生まれたのは昭和25
年、1950年、私が生まれた当時は、吉田茂は現役であった。だがもちろんそれらのことは何も覚え
ていない。しかし、普通の「おじいさん」と「孫」との関係とは全く違っていた。
遠い存在で、物心がついてから年1回、家族で大磯のおじいさんのところに遊びに行ったが覚えてい
るのは、その屋敷から醸し出されるのは、深い深い孤独感だった。
父と、祖父の間も普通の父子の関係とはちょっと違っていたようだ。何か不自然な様子があった。
でも、そのことは、私と父との関係においても同様に不自然なものを感じた。父にはどこかスノビ
ズム、悪い言い方をすれば貴族趣味があって、それはプライドともつながり、今の父親にはない威
厳を保っていた。もちろん祖父はその数倍の威厳があった。 
今、竹下 登の孫、DAIGOや、いとこの麻生太郎の活躍を見るとうらやましい感じもする。
確かに、この歳でも、私がフランス語の通訳をやれているのは、恵まれて育った環境のおかげであ
るということは否めない。


    
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