** * まちだ雑学大学 * ****

  講座概要


    
  第117回講座    2020.02.08  町田市民フォーラム第2学習室A&B(4F)

30か国、35年間の日本語教育!!
―比較文化、翻訳(直訳・意訳・誤訳)などは―


加藤 望 氏
フランス語翻訳家


 ルネッサンス・文芸復興時代に様々な名作が誕
 生し各国語も翻訳されまた。以来「原作は泉から
 湧き出てくる水を飲むようなものだが、翻訳文学
 は水道水を飲むようなもの」と言われています。
 私見ですが、翻訳には意訳・直訳・誤訳・名訳等
 があり、中でも誤訳には四つの段階というか種類
 があると考えております。一つは笑い話にとどま
 るもの、二つ目は料理のスパイスをちょっと間違
 える感じ、三つ目は塩と砂糖を取り違え苦い思い
 をさせるもの、四つ目が、深刻な事態を招きかね
 ない誤訳。
 

 今回の講演内容の概要にも書いてありますが、小津安二郎の「秋刀魚の味」のフランス語訳が「酒の
味」となったように、外国映画の邦題にはいろいろあります「ジョンアンドメリー」という1969年のアメリカ
映画は、日本語のタイトルはそのまま「ジョンとメリー」でした。私の好きな映画で、その理由はダスティ
ホフマン演じる男の女の出会いと別れのストーリーの中の会話が建前の台詞に本音の内心の言葉が
字幕に出るというところです。例えば、ダスティホフマンがきみはきれいだね、と言うと、字幕にちょっと
怖そうとかほくろがあると出るといった感じです。それから、可笑しな誤訳例という配布資料に笑い話
になる例があるので、ご参考に(別紙参照)

 メラビアンの法則というのを聞いたことがございますでしょうか。
アルバート・メラビアンはアルメニア系アメリカ人・カリフォルニア大学の心理学の名誉教授。
このメラビアンの法則では今私が話している講演のような場合、話しの内容・所謂言語情報による影響
と判断及び評価は7%、視覚情報例えば私の仕草や表情やちょっと変なひげ等の見た目の印象とその
影響は38%、それから、聴覚情報例えば、私の声の質や抑揚や声の大きさ等が55%というのがメラビアン
教授の調査分析結果です。
 日本人の外国語コンプレックスやアレルギーは言葉の内容よりも、母音の多い音韻・発音や発声法に
よる聴覚的刺激と仕草やオーバーなジェスチャーや青い目や金髪の女性等の視覚的イメージから来る
ところが多いのだと思います。
 今流行っているポケトークという自動通訳・翻訳機があります。 外国人に対応するために病院や
デパートにも備えられているこのポケトークの開発者はシリコンバレーで様々な先端技術者やベンチャー
企業のアイデアや協力を得て開発されたもので、74の言語に対応するものですが、固有名詞や比較文
化的問題、それから言語情報以外の人間の声の抑揚や仕草や表情で相手の考えを理解し翻訳すること
にはまだ限界があるそうです。勿論人間の方も嘘発見器ではないので、詐欺にあったり、騙されることも
ある訳ですけど。

 「詩を書かない詩人」という詩を書きました。お手元にお配りした資料にその詩やメラビアンの法則の説
明もあります。「詩を書かない詩人」の意味は、詩を書かなくても詩人の感性が良く分かるという理解と、
詩を書かなくてもその人の語る声や顔や目つきや表情、広義な意味では視覚的に聴覚的に詩人である
こともあるというような解釈も成り立つかもしれません。


 翻訳における固有名詞について少々お話しましょう。
 越境文学者のレビー英雄が書いた「新宿の万葉集」
という文学というよりも評論作品があります。
日本で日本語で出版され、評価を得た作品で、アメリカ
の出版社から英訳を頼まれたのですが、彼は英訳は難
しいと断ったそうです。その理由は、例えば「1960年の
新宿」を翻訳するが場合、そのまま英訳しても、アメリカ
人にはその背景の意味は伝わらないので、1960年の新
宿は一体どんな出来事やどんな風景があったのかを脚
注に書くとすると、それだけで一編のエッセイや短編小
説の長さになってしまうと答えたそうです。


 「みちのくの人形たち」という深沢七郎の小説をAFP通信の女性記者とフランス語に共訳した経験があ
ります。前作の「楢山節考」のベルナール・フランクの仏訳は「La ballads deNarayama」バラードは一種の
叙事詩で、固有名詞の楢山節考の楢山は楢山のまままま、楢山の叙事詩ということになっています。そ
れにならって、深沢七郎氏と食事をしながら、相談の上みちのくは語源はみちのおくで現代語では宮城・
福島・青森・岩手に相当する東北地方の固有名詞なので、そのまま生かし、人形の複数形はフランス語
でles poupeesですから「Les poupees de Michinoku」としました。

 日本語で「助けると手伝うと救うの違い」を説明する時に用いる例文が、「自殺を救うと自殺を手伝うと
自殺を助ける」なのですが、自殺と言えば、ヘミングウェイは61歳で自殺若しくは自死する直前に原題が
「moveable feast 」という回顧録の作品を1964年にパリで書いています。訳者の福田陸太郎は勿論比較
文学と比較文化が専門ですから、そこら辺をわかった上で敢えて題名を「移動祝祭日」と翻訳したのかも
しれない。しかしベルギーのグロータース教授はカトリック神父であり、多言語を操る言語学者、彼による
と、「この書物の原題ムーヴァブル・フィーストというのは、クリスマスのようないつも決まっている祭日に
対して、イースターのような年によって異なる祭日のことですが、この本の扉には、もし誰でも運良く青春
時代にパリに住んでいたら、残りの人生をどこで過ごそうとも、パリは自分についてまわる、パリはお持ち
歩けるような楽しいお祭りなのです」と指摘。因みにフランス語訳は「Paris estune fete」パリはお祭りです。
和訳としては「パリは心の祭り」が良かったのではないか。2015年11月13日にパリで大きなテロ事件が起
こり多くの死傷者が出ました。フランス中が悲しみに沈んでいた時、パリの古き良き時代を偲んでか、
ヘミングウェイの移動祝祭日はベストセラーになったそうです。

 翻訳には名訳もあります。
あの有名な翻訳家の渡辺一夫がルネサンス時代のフランソワ・ラブレーの名作ガリガンチュアの中でお
酒のことを「般若湯」と訳したのも名訳と言われている、般若湯は仏教の僧侶の隠語で、お酒は実は人間
を鬼のようにする危ないものではなく、酒は真理が湧き出ずるお湯のようなものという意味です。渡辺一夫
はフランスのワインにもそんな意味合いを込めたかったのかもしれない。

 山崎豊子原作のテレビドラマ「白い巨塔」のテーマ音楽になっているアメージンググレース、原詩は
Amazing grace how sweet the sound that saved a wretch like me ですが歌詞の場合は、音符に合わせる
数の制限、所謂ミーターがあります、この場合ミーターは8・6そして8・6ですから、私の和訳は、「やさしき
息吹の 8くしき恵み 6 愚かな我をも 8 招き入れる 6」としました。
ちょっと俳句を詠む世界に似ているのです。

 川端康成がノーベル賞を受賞した時の、スピーチは日本語では「美しい日本の私」、日本の私はいろいろ
な翻訳が考えられるところですが、川端康成の主な作品を翻訳してきたサイデン・ステッカーはそれを、
「japan.thebeatiful.and myself」と訳しました。川端康成のスピーチのタイトル、美しい日本の私この「の」が
問題で、本人に質問したが適当にやってくれと言われて困ったとサイデンステッカーが語っています。「の」
には様々な用法と意味があります。例えば、「着物の女性」は、着物を着ている女性か着物の似合う女性か
着物を販売する女性か、或いは着物を選んだ女性か文脈によって意味は変わりますし、例えば医者の息子
はお医者さんの子供か医者である子供かも不明です。そんなことを加味して、サイデンステッカーの苦労の
結晶「Japan,thebeautiful,and myself 」(日本、その美しさ、そして私)という翻訳の誕生でした。

 日本という国と国民のの生死をかけた翻訳問題と言えば、アメリカから即時無条件降伏を迫られた時の
鈴木首相の返答「黙視する」をアメリカの記者が誰から聞いたのか、「ignore 」無視すると発表。そして広島
と長崎に原爆が投下され、歴史的な悲劇を生みます。

 翻訳・通訳業界用語に「丸める」という言葉があります。大雑把に訳すことを言うそうです。いい加減とか適
当にという意味は両義性があります。ちょうどいい加減・適度にか無責任か、どちらにも解釈可能な言葉です。

 日英・日仏の翻訳の難しさの一つに言語文化の側面があることは周知の事実。
元国際基督教大学教授のクリステワさんは日本の古典文学の研究家です。彼女によると、「短歌や俳句・
万葉集の歌等の古典文学には、にくいけど恋しい、楽しいけど寂しいという両義性を持つ言葉がいくつもあり、
21世紀の近代文明の合理的な考え・白か黒、イエスかノーというような、双方の間に明確な境界線をひくこと
ができない、ある意味では未来学である」と述べている。

 日本語は音韻的にはポリネシア系で、文字は漢字とカナですが、文法的にはウラル・アルタイ語族・言語学
では膠着言語に属します。この種の言語の特徴は、文法的には関係代名詞がなく膠のように名詞や名詞句
を修飾することと語順が大きな世界から小さな世界へと移行することがあげられます。韓国のイー・オリョンが
書いた「縮み志向の日本人」にこういう例文解説があります。彼は石川啄木の短歌「東海の小島の磯の香り
白砂に我泣き濡れて蟹とたはむる」をあげて、大きな世界から段々と細やかな情景が描写される。精密で繊
細なものを作る才能のある日本人、哲学的な帰納的な思考を持つ日本人、彼はそれを縮み志向と言ってい
ますが、コンパクトカルチャーと
命名しています。

 日本語の特徴に冠詞があります。「てにをは」です。
「が」と「は」の違いは、国語学者の大野晋によると「が」は未知、未だ知られていない主語や話題で、「は」
は既知、既に知られている主語や話題。英語に翻訳すれば、「が」はa、「は」はthe 、フランス語では「が」
は un かune「は」は le かla となります。

越境文学について。
英訳
cross bordering literature
cross border literature
フランス語訳
literature transfrontaliere

 代表的な日本出身作家はカズオ・イシグロ(英語)、多和田葉子(ドイツ語)ベルリン在住、関口涼子(フランス語)
パリ在住、
 代表的なアメリカ出身作家リービ・英雄、 アーサー・ビナード(朝美納豆)詩人、
 代表的なイタリア系スイス生まれの作家デビット・ゾペッティ、
 代表的なフランス出身作家マブソン・青眼、
 代表的な在日韓国人作家李良枝(リー・ヤンジャ)、
 代表的な台湾出身作家温又柔(オン・ユウジュウ)。
話しがかなり前後します。先程新宿の万葉集のリービ英雄を取り上げましたが、越境文学というのは、母語
ではなく継母国語で書かれた文学のことの呼称です。それ故に、独特の表現芸術が生まれます。例えば、
ノーベル文学賞に最も近いとも噂されている多和田葉子の「百年の散歩」の中に、町であなたを待っている
とその町と周りの情景が私の心の中を包んでくれるようになる、あなたが来ないから。というような下りがあ
り、ある意味ではあなたという日本や母語がやって来ないから、彼女の住んでいるドイツのベルリンが彼女
の心を包み込んでくれるというようにも解釈できる訳です。

 日本語の音韻について。
黒川伊保子女史(脳と言葉の研究家)によると、あいうえおからんまで、それぞれの音には体感する意味や
ニュアンスがあると言う。彼女の「あいうえお」の例え話が面白いので披露しましょう。
渋谷のセンター街で深夜妻を見かけて、「あっ」と驚く。妻の方へ近づきながらよく見ると、男と一緒にいる
ので、「いーっ」と痛みの伴う声を出す。すると二人は仲よさそうに歩いて行くのを見て「うっ」と苦しいため
息をつく。ラブホテルの前で止まったのを見て、「えっ」と信じがたい驚きの声が出そうになる。二人が遂に
ラブホテルに入って行った時、「おっ・おお」とこれが我が人生なのかと、諦めに近い声をあげる。

日本語はこのような音韻に加え、大和言葉と漢語とカタカナ語や外来語、そして文字としは、詩人の草野
心平が語った天女のように優しいひらがなとジャックナイフのように鋭いカタカナと、哲学的でもある造形
的な意味を持つ漢字によって成り立っています。それに加え、文法や語順や敬語にも個性があります。

神田の居酒屋のメニューの貼り紙に、
 おい生ビール(1000円)
 生ビール持ってきて(500円)
 すみません生ビール一つ下さい(380円定価)
「お客様は神様ではありません」というパワハラ・モラハラ・セクハラ防止にも役立ちそうな
貼り紙があります。

言葉というものには流れがあります。西行が言の葉はひらひらと表と裏を見せながら散ってゆくもの、吉本
隆明は、言語における美とは何かで、言葉の関わりと繋がりと広がりが美しさを作ると語っています。

私は共訳者として写真家でエッセイエストの星野道夫さんのエッセイを仏訳を手伝ったことがあります。その
仏訳はジュネーヴの展示会場で映像と共に朗読されたそうですが、彼の日本語は美しい流れがあります。
この流れを翻訳することは簡単ではありません。第一回ノーベル文学賞はトルストイと争い、結果プリュドム
というフランスの詩人が受賞、彼の詩「壊れた花瓶」は、一つの花瓶に扇があたり、かすかなヒビが入った、
そのヒビが花瓶を侵食し、少しづつ水が漏れだし、花が枯れてしまう。あたかも、わずかに人の心に触れて、
傷をつけ、愛が枯れてしまうように、云々という流れの詩です。原詩と訳詞はネットで調べられます。
やはり、泉の湧き水と水道水の微妙な差はぬぐえないのかもしれません。

 因みに、町田雑学大学の雑学はフランス語では、コネサンスエクレクティックと言うそうですコネサンスは
知識、エクレクティックは、哲学用語では折衷の意味ですが、この場合はこだわらない・偏らない・多方面・
多分野の意味です。

    
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